音楽に委ねて

essay

時折り思い起こせるように、記しておこうと思いました。

高本恭子さんの著作 『音楽からの贈り物』を読んだ後に、再度、”読み返したい”と心に残っていたところ。

この本には、音楽療法士として活動されてきた中で、音楽を通して様々なケースの方々との関わりが書かれています。


現在でも歌い継がれている童謡や唱歌。子どもが歌うときは主に”メロディ”と”発声音”のような気がします。歌詞に心を寄せ情緒的に歌う。なんてことは、歌詞の中に出てくる言葉すら知らない場合だってあるかと思うので、まだ難しい。大人になりその歌に触れたとき、初めてその情景に気がつくことも。以下、たくさんのエピソードの中、ほんの一部分を本文から。

どんな曲にも思いが込められている

しゃぼん玉

野口雨情が作詞し、中山晋平が作曲した唱歌。

雨情の子どもは、生まれて一週間ほどで亡くなってしまいました。

この詞は、雨情が亡き子どもへの思いを、しゃぼん玉にたとえて詠ったものと言われています。

一番は

「しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ…」という歌詞で、夏のしゃぼん玉遊びの楽しい風景がイメージできます。それが二番になると一転して、子どもを亡くした雨情の悲しい思いが伝わってくるのです。

しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた

生まれてすぐに こわれて消えた

風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ

このエピソードを紹介する前と後では、皆さんの様子や歌声の質ががらりと変わります。

高齢者のグループを対象にした音楽療法だったりすると、子どもを亡くされた経験のある方もいらっしゃいます。とくにそういう人は、感情を移入して歌われるのでしょう。

音楽療法の勉強を始めたばかりのころは、悲しみを思い起こさせる曲は使わないほうが良いと思っていました。しかし、人間が本来もっている喜怒哀楽の感情を積極的に引き出すことで脳が活性化され、治癒につながっていくということが、経験を積み重ねていくなかでわかってきました。たくさん笑い、たくさん涙しながら癒やされていくのです。


”幼くして旅立つ短い命”というのは、この歌が作られた当時、珍しいことではなかった時代。

大人が感じて詠った悲しみを、同じような経験をした方々が心を寄せ、歌い慰め、そして子どももそれを一緒に歌う。それが当時の童謡や唱歌の姿でもあったようです。『赤い靴』も野口雨情の作詞による童謡で、物悲しいメロディと共に切ない背景が語られることのある歌です。

悲しみや憂いも含む心情を表現し、大人も子どもも歌っていた時代。近年の「子どものための歌」としての童謡とはまた異なるあり方に触れることができました。

音楽療法では方法もそれぞれに違うアプローチで、聴いたり、歌ったり、演奏したり。一人ひとりの感性によっても異なっていて。

以前カヴァーした際、はじめてしっかりと二番の歌詞まで見て、子どものころに覚えていた曲とは印象が違い、儚さや悲しみのようなものが滲む“しゃぼん玉”

最近になり、ふと手にしたこの本で触れることになるとは。

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