①ランは今年うまれたばかりのこねこです。
きょうだいは四ひき。ふかふかとした まっ黒い毛のこねこがランです。
ランのうまれたころ、あたりは寒々として 雪がところどころのこっていましたが、一カ月もたつと、この雪ぶかい村もすっかり春になりました。
こねこたちもぐんぐん元気になります。
ただ一ぴき、黒ねこのランをのぞいて。
②ランは内気なねこでした。そのせいか 動作がのろまで、なにをやってもビリになります。
こねこなら、だれに教わらなくてもやる じゃれっこ遊びやつめとぎごっこを なかなか おぼえないのです。
やがて、一人前のねこになるための 本格的な訓練がはじまりました。
「しのびあるきの術」や「空中回転」など いろいろいっぱい
③お母さんははげましたり、しかったりして教えましたが、ランは ちっともうまくなりません。
母「いちどでいいから、おまえが 銀のナイフのように とびあがるのをみたいねえ」
これがお母さんの口ぐせでした。
ラン 「みんなのじゃまにならないよう 練習するしかないなあ」
④ランはひとりで 宙がえりの練習をはじめました。
ラン「えい!はっ! そうれ! やっ!」
ドタ
ラン 「よっ!ほいっ! わっ!とととっ!」
ドタ・・・
うまくいきません。
何回も何回もくりかえして、あせびっしょりになりました。
ラン「のどがかわいたな」
ランは ねこたちの水飲み場で ひとやすみすることにしました。
⑤ラン 「冷たくておいしそう」
ランが飲もうとすると・・・・・・、
魚「おい!いいかげんにしてくれ」
と、水のなかから声がきこえました。
ラン「はっ、はい! どなたでしょう?」
みると、水の底のかれ葉の下から ちいさな魚がランをにらんでいます。
魚「おまえたちはけしからん。ここは おれの場所だ。だのにいつも勝手に飲んだりさわいだり。もう がまんならん! いいか、この水を ことわりなしに飲むべからず!」
⑥ラン 「あ、はい。ごめんなさい。すみません」
ランはペコンとおじぎをしました。
魚「魚にまでおじぎするなんて、へんなねこ!」
魚は水面にうかびあがって、ランをよくながめることにしました。
魚 「おや、きれいな目をしていいやつみたいだ」
魚「ええと、あー、おれ、さっき
〈ことわりなしに〉水を飲むなといったんだよ」
ラン「はい。ぼく、ぼんやりしてたもので
気がつかなくて。どうも」
魚「あのねえ、そのう、だからねえ。
〈ことわれば〉水を飲んでもいいんだよ」
ラン「え? ほんとにぼく、ごめいわくかけちゃって」
魚「だからさあ、つまり……えい、じれったいな。
ね、のどがかわいてるんだろう?水をお飲みよ!」
ラン「え? いま、水をお飲みっていいました?」
魚「うん、そういったんだよ。さ、飲みな」
ラン 「ああ、ありがとう! ありがとう!」
⑦ふたりは親友になりました。
ある日ーー。
つつじがぽっと もも色の花をつけるころ、魚がランにいいました。
魚「おれ、じつは じぶんが何の魚かわからないんだ。鯉の子どもかもしれないし、フナかもしれない」
ラン 「それならかえって、何の魚だと思ってもいいわけですよ。ね? 何になりたいですか?」
魚 「そうだなあ。おれ、鯉だといいなあ」
ラン 「それでは、はい! あなたは 本日ただいまから鯉です」
⑧ラン「りりしい鯉の息子です!」
魚「鯉か。いつか金色のウロコに包まれて
勇ましく旅立つ鯉!‥‥‥いいなあ」
魚はうふうふと笑い、笑うたびに まるいあわを
ぽこぽこはじきだしました。
また、ある日ーー。
⑨霧がミルクのように景色をとかしてしまう夜明け。
ランは心配そうにはなしました。
ラン 「ぼく、ねこのかたちをしているけど、心もからだも ねこになっていないみたい。」
魚「そんなことはない。でも、それならかえって きみもなろうと思えば何にでもなれるのさ。何になりたい?」
ラン 「うん、そうだなあ……空の……雲! 雲になりたいよ」
魚「では、よし! きみは 本日ただいまから雲だ」
⑩魚 「ふかふかの綿雲だ!」
ラン「あはっ、綿雲! ふかふかのまぶしいやつ」
魚 「そう。綿雲のラン。空をはしるラン!」
ランは目をとじてまるくなり、ちいさな雲のようにじっとしてみました。
⑪また、ある日ーー。
うまれたてのセミが おずおずと鳴きだすころ、魚はつむじ風のように 連続宙がえりをしてみせ、みとれるランは目がまわりました。
⑫また、ある日ーー。
夕立ちのあと
くっきりかかった虹を見物しているとき、「遠く」にはなにがあるのだろうと ふたりで ながいあいだはなしこみました。
こうして春から夏へ 夏から秋へ。
ランは 魚といっしょに、うたうようなおどるような日々をすごし、あの不器用だった
「こねこのラン」ではなく、黒くつやつやの若者に成長しました。
⑬けれど、楽しい日々は 冬まではつづきませんでした。
ほかのねこが、ついに魚をみつけてしまったのです。
その知らせはすぐにお母さんのもとへ。
お母さんは こねこたちを集めていいました。
「最後の訓練として、『魚とり競争』をすることにします」
その日は、つぎの満月の夜と決まりました。
⑭その日いらい、ランと魚は であっても、言葉少なにうつむいていました。
魚はなにごとか 一心に考えているふうです。
ランはもうどうしていいかわかりません。
ただただ頭がかっとして、胸がつまるばかりです。
満月の夜はとうとう あしたにせまりました。
⑮その日の夕暮れ。魚はランをみつめ、静かにはなしはじめました。
魚「おれ、それでもいいという気がしている。
おれは知っている。鯉にはなれない。
ちいさな魚のままで、この池で一生をおわる身だと知っている。そして、それが あしたでもいいと思う」
ラン 「いいえ! ちがうよ。あなたは鯉だし、ぼくは綿雲だ。そういってくれたじゃない!」
魚「ありがとう。きみは綿雲だし、おれは鯉だ。
うん、そうかもしれない。でもね、ラン。おれが あした たべられてしまうというのも事実なんだよ」
ランは涙ぐみました。なにもいえません。
あした 魚がたべられてしまうことは いやというほどわかっていましたから。
⑯魚「おれ、どうどうと たべられようと思う。
ずっと考えて、そう決めたんだ」
ラン 「そんな……」
魚 「ただね、お願いがある…………たべられるなら、ラン。きみに たべられたいんだ」
ラン 「そんな…そんな! なんていうことを!」
魚「ちがうんだ。 ラン! よくきいて。
きみになら・・・・・ともだちのきみになら、
〈たべられる〉のじゃなく
〈ひとつになる〉気がするんだ。
おれ、アタマもひれも心も、きみに しっかりとたべてもらいたい。そうすることでおれ、きみに
・・・・・・きみそのものになれると思う。
そして きみになりきることで、おれはこのちっぽけな水たまりをとびだす」
⑰魚「きみとおれ、新しい いのちになって
いっしょに 風景をみる。
いっしょに 風の音をきく。
いっしょに笑い、はしる!
……な? な? ラン。お願いだ。感じてみて!」
ながいあいだ どちらもだまったままでした。
やがて、ランがいいました。
ラン 「わかった。ぼくはあなたをたべます。
いま、ぼくにできるのは
あなたをしっかりとたべることだけ。
……わかった気がします」
魚「ありがとう」
魚はほーっと息をはきました。
ラン 「ぼく、すこしこわいです」
魚「おれもこわいよ。でも、これはだれでもいつかは 通りぬけねばならんことじゃないかな。
……だから、きみといっしょに。な?」
⑱その日がきました。
満月がのぼるのをあいずに、こねこたちは おぼえた技をつかって魚にいどみました。
魚もまけていません。
とび、もぐり、右へ左へ。
すばらしい身のこなしで、からだをかわしました。
さいしょのねこ、つぎのねこ…………。
時間ぎれでもどるこねこたちは びしょぬれで、はあはあ息をしています。
魚も 傷だらけ。目がくらみ、ふらっと うきあがりそうになります。
そのたびに魚は、「ラン!」と心のなかで呼びかけ
気力をたもちました。
とうとう ランの番になりました。
⑲ラン 「きました。ぼくです。ありったけのちからと思いで あなたを つかまえてみせます。
きこえますか? きこえますか?ぼくです」
水の底に横たわった魚は、すこし ほほえんだようです。
そして、勇ましい戦士のように からだを立てなおして、身がまえました。
⑳ランは魚をみつめて、池のまわりを はしりはじめました。
さいしょはゆっくりとーー
そして、しだいに速くーー
やがては、黒くかがやく 輪にみえるほどの速さで。
ほかのねこたちはびっくりしました。
こんな魚のとりかたはみたことがありません。
ランの動きにあわせて ゆだんなく ひるがえる魚は 笑って つぶやきました。
魚 「ラン。きみはだれよりも すごい方法をみつけたね」
㉑ランのはしるすがたは もうみえません。
黒い輪はいまではまぶしいほどかがやき、ときどき パチパチと火花がでるほどです。
風がおこりはじめました。
池の水はまるで あらしにあったように 波だち、あわだっています。と、みるまに とつぜん、
輪がちいさくなりはじめました。
じりつ じりっと、まるで水を追いこむように
疾走するランは輪をせばめます。
じりっ じりっ。
池の水はうずまき、ねじれ、とびちり、
ぐうんと もりあがってきました。
ラン 「いまだ!」
㉒水はたつまきのように空に
のぼり、ぱあっとしぶきます。
そして、そのしぶきのてっぺんに魚がキラリと光りました。
ランはその瞬間、渾身のちからをこめて 大地をけりました。
魚にむかって。
春・夏・秋の思い出にむかって。
ありったけの思いをこめて、激しく そして かぎりなく優しく。
(たしかに!)
ランは心でさけびました。
(たしかに!)
魚もランをみていったようです。
ランは ひらりと
㉓みんなのまえに おりたちました。
声もでない ねこたちを ランは一瞬、光る目でみつめました。
そしてさっと身をひるがえすと、
そのまままっすぐに かけさりました。
どこまでも。
どこまでも。
どこまでも。
㉔ランは いま はしっているのだろうか。
魚とともに。
ーーおわりーー
原作・脚本 工藤直子
絵 保手浜孝
※この紙芝居は『ねこはしる』工藤直子著 童話屋館をもとに脚色しているそうです。
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